いちばんじゃなくてもいい星

セクマイで精神疾患持ちACが綴ります。

或る夜、自己肯定を思い出した日

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幼少期〜高校生くらいまで、コンスタントに、ほぼ毎日絵を描いていた。

自分は絵を描くのがすきだし、会話にすごく緊張するから、絵は自己表現の場だった。絵は自分から発する言葉よりも雄弁に感情が乗った。

だから、ずっと描いていくのだと思った。一生。

捌け口

たぶんに、物心ついた時から抑圧されてきたのだと思う。それに気づくのはずっとずっと後だし、気づいた時にはもうどうしようもないくらいにどうしようもなくなっているのだけど。

制限が多かった。

親は喧嘩ばかりしていた。

同年代との会話についていけなかった。

ほんとうの気持ちを言えなかった。

大人の求める”正解”をすらすらと答えていた。

こうして溜まっていった小さなストレスたちの発散させ方を知らなくて、幼年時代は逃げるように絵本に没頭していた。同じ図鑑を毎日毎日読んでいた。だから花や虫、動物にはすこしだけ詳しい。そしてそれも飽きたらその絵を描いていた。

絵を描くことは自分にとって自然なことだった。絵は自由に自分の思ったように紙面にあらわれてくれて、楽しかった。他の人と比較することは無意味で、ただ自分の世界だった。

でも絵は残る。目にした他人は望んでない評価をする。絵ですら、自分に制限がかかるものになっていく。

挫折

自分は専門学校への道を選んだ。高校を出たら就職することを望まれていたし、仮に進学するなら援助はないと。高校時代から必死にバイトをした。高校はもう高校卒業資格を取るために行っていたようなものだった。

そうして家を出て専門学校へ行く。自分は絵で生きていくのだと。

待っていたのは強い挫折感と絵を描くのが嫌いになることだった。

それぞれのエピソードは機会があったら綴るとして。

絶対的だった核を失って、自暴自棄になって、下宿で栄養失調状態で見つかる。

此処で技術を磨いて、自分の職業に、糧に、より強固なものにするために専門学校を選んだ。その為に高校時代をバイト漬けで過ごし、お金を貯めて家を出た。入学した後も高時給だけど合わないバイトをして、毎日出勤前にお腹を壊して行きたくないとえんえん泣いていた。この2年のために、

ただ、好きなものを失っただけだった。

ほんとうに描けなくなった。描こうとすると動悸がした。苦しかった。視線を感じた。見ている、見られている、評価を下される、こわいこわいこわい正解がわからない。

あれ、でも、絵を職業にするって、そういうことでしょ?

楽しいだけじゃ、仕事にできない。

一番好きなことを仕事にしようとしちゃいけない。

そう気づいたのは全部壊れた後だったし、自分の腕に落ちる点滴を見つめながら誰も来ない病室で悟った。

現在

それから、描いたり、やめたり、1年に1枚描けたらいいとこだったり。

今も描きたいという気持ちと描き始めたときの苦しさの落差がある。

そんな中、完成はさせられなかったけど、描いた絵をtwitterに投稿してみた。セクマイ垢として始めたtwitterだけど、今は闘病日常オタク垢と化している。要はカオスだ。

夜の投稿だったにも関わらず、そこで想定以上の(自分にとっては過分な)評価を得ることとなる。

いいねをしてくれた方々のアイコンが、リプライをくれた方の言葉が、

すごく嬉しくて、絵を描いてこんなに嬉しかったのはいつぶりだろう?って思ったら鼻がツンとしてきた。

他人に評価されて嬉しかったことなど皆無に等しかったから。「描いてもいいんだよ」って赦してもらえたような気がした。

今後

絵を描くことを完全にやめることはないと思う。それは手が動かなくなった時。

このある種”成功体験”がどう今後に響くかはわからないけれど。今度はちゃんと完成させたいという気持ちが強くなったから、明日か来月か、半年後か、わからないけれど、きっと何かを描く。

しんどくて苦しいこともあるけれど、どんなに弱くてもこれは確かに自己肯定だと思ったから。

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言葉に声が乗らない

「見て」くれた方に心からの感謝を。

(すこしだけ色をつけてみましたがこれが限界でした)

 

ではまた。